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名執権・北条泰時

2016.11.03(21:14) 10

式目は今日も現存する・・・・・?。

式目は全五十一条からなり、武士にも解りやすいように平易な言葉で書かれていることも特徴のひとつである。「吾妻鑑」には、全五十一条の記載はありませんが、しかし、式目は今日も現存するそうです。(写本と思いますが・・・)
原本を見たことがありませんが、式目関係の史料集からその主な内容について触れておきたい。  以前にも記したが、新法不遡及の原則を規定している。

一・ニ条・・・・・神社・仏閣の修理と祭祀(saisi),仏事の励行を規定。
三・四条・・・・・守護の職務・警察権限の規定。

五条・・・・・・・・地頭の年貢滞納に関する処分規定
六条・・・・・・・・幕府と朝廷・本所との裁判管轄規定
七条・・・・・・・・不易の法(fuekinohou)と呼ばれ、頼朝から実朝、北条政子の時代に幕府から与えられた所領は、旧知行者が訴訟 を提起しても改められないと云う規定

八条・・・・・・・・知行年記法で、二十年を越えて継続して知行してきた所領は、知行するに至った事情の如何を問わず、知行権を保障するという規定で、7・8条どちらも御家人の所領保護を原則としており、律令・公家法に対する武家法の独自性を強く示すものである。
九条~十五条・・刑法に関する規定  (詳細は省略)
十六条~二十七条・・民事訴訟・御家人層の親子・夫婦・兄弟関係
二十八条~三十一条・裁判制度・訴訟手続に関する規定  以下五十一条に至るまで各種の規定が配置されている。  土地関係の規定が多く、武士社会の生活の中から作り出されただけに、極めて実際的・現実的。 
式目追加・・・・・時代の経過に伴って、式目の不備を補充・修正する法令を発布する。  追加法は750か条に及び、実際に運用された式目によって、東国の鎌倉幕府が政権を担当して、独自の武家政権を担ったのでしょう。  

 貞永元年(1232)八月、執権北条泰時が、武士の為の法典である「御成敗式目」を制定,施行。
まお泰時は六波羅探題として京都に赴任中の弟重時に書状を送り、この式目は公平な裁判を行うために、武士社会の慣習であるどうりに基づいて作成されていること、あくまで武士の便宣の為のものであり、これにより律令の規定が変更される事は無いと述べている。
   

  こうして泰時の政治は、執権政治として結実した。
先に導入した評定衆制という合議制と、貞永式目による法治主義とを二本の柱とした政治で、「法律に従って話し合いで」 と云う訳です。 
他に泰時の仕事と云えば、「和賀江嶋」の築港  (現存する日本最古の築港遺跡)。  巨福呂坂(kobukurosaka)切通しの整備・
朝夷奈切通しの開通。  鎌倉大仏の建立。 等々、鎌倉幕府の基礎を成した名執権と評価しますが、如何でしょうか。・・終り

丙申・庚子・己丑    
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