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鎌倉幕府の歴史書「吾妻鑑」

2018.01.11(07:00) 118

●  今年も宜しくお願い致します。
●  鎌倉幕府五代執権・時頼から八代執権・時宗まで・・・・・・・。 宝治合戦・元寇の襲来等をレポートしてきました。  九代貞時以降~幕府滅亡~鎌倉府~関東管領以降戦国時代までの鎌倉は又別の機会に・・・・・・・・・。
昨年6月に中断しました「吾妻鑑」 をまた違った角度からレポートする予定です。
前回までのレポートと重複・矛盾等がある事と思いますが、悪しからず、ご容赦願います。    



**「吾妻鑑」 と金沢文庫との関係

鎌倉時代の歴史を調べるのにまず挙げられるのは、幕府創設以来の歴史を日記体で記された歴史書「吾妻鑑」であろう。
この歴史書は色々の意味で興味深い本なのであるが、残念ながら文永三年(1266)で終わっている。

文永三年に絶筆になってしまった「吾妻鑑」 に代る貴重な資料として、横浜市・金沢区にある金沢文庫「金沢文庫古文書」 は有望である。    (既に解析され研究が進んでいる)

金沢文庫は鎌倉時代の中期、700年前の北条氏執権政治の盛期を作り上げた、幕府三代執権・北条泰時(yasutoki)の弟・実泰(saneyasu)は、鎌倉の東にあった武蔵国六浦荘(muturasou)を与えられた。   実泰の子、実時(sanetoki)の時代に六浦荘内の金沢村に別邸を建てたのが始まりで、蔵書を納める文庫を邸内に造ったのがその起源とされる。
金沢・称名寺に併設される  県立・金沢文庫
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金沢(北条)実時は幕府の要職を歴任しただけでなく、学芸を好み、京都から下った学者に付いて学び、学問の修得に熱心であったようだ。  また、邸内に称名寺(siyoumiyouji)を建立するなど、当時としてはかなりのインテリだったと思われる。   以後、金沢文庫と称名寺は同じ邸内にあって、歴代の顕時(akitoku)・貞顕(sadaaki)らの庇護を受けつつ相互に関係を保って発展していった。
金沢称名寺・山門
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称名寺庭園
称名寺庭園
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「金沢文庫・古文書」 は、文庫に伝わる総計四千通にもなる文書の総称である。   その多くは紙が貴重品であった当時、手紙などに使用された後、再び手紙の裏を使って別の書物などを書写した為に残された,「紙背文書」(sihai・monjiyo)である。
差出人が誰か不明なものが多いが、実時の子孫の金沢氏の一族や称名寺の僧侶たちの往復書簡が多くを占めている。   金沢氏が北条氏の一族として幕府内の重要な地位に有り、特に貞顕は後に執権に就任する程の活躍を示したので、自然幕府内の重要な文書・政局の機微に触れたものが多い。

貞顕から子の貞将(sadamasa)に宛てた手紙に当時の鎌倉の様子を伝えた「田楽之他事無く候」 などと述べて「太平記」 等にも伝わる北条高時(takatoki)(14代執権)の田楽への熱中ぶりを伝えた手紙なども有名である。   その高時が執権を辞任した後、執権の座に就いた貞顕だが、幕府内部の複雑な政争のあおりの中で、就任一か月で辞職、出家するまでの事情の一端をもたらした書状なども貴重なものだ。
断片的ではあっても正に事態の真実が表れているわけで、「吾妻鑑」のような編纂された歴史書では無いだけに鎌倉末期の、特に幕府内部の政情は、この「金沢文庫古文書」 無しには語れない貴重な史料である。

現存する「吾妻鑑」 諸本の多くは「金沢文庫御本」 を書写した古写本の系統を引くものであり、「吾妻鑑」 の編纂と金沢氏一族、金沢文庫との間には緊密な関係が有ったと言って良いだろう。・・・

「吾妻鑑」 叙述の基調があくまでも北条氏執権政治の立場の上に置かれている事は、金沢氏の性格上当然と言えるが、御家人のうち特に安達氏の行動に多くの焦点があたっている感があり、当時の幕府内にあって、御家人を代表する安達泰盛と金沢氏とは婚姻関係においても深く結ばれている関係から、金沢氏を主体とする「吾妻鑑」 の編纂説によって容易に解釈できる。

少し、詳しく検証しますと、「吾妻鑑」 の編纂された年代は大きくⅡ期に分けられている様だ。
前半は、文永年間(1264~75)までに編まれ、後半は正応三年(1290)~嘉元二年(1304)までに編纂された。   (定説)
前半部と後半部の編纂年代の間には、かつての幕府実力者・安達泰盛の派閥が討伐された弘安八年(1285)の霜月騒動があり、金沢顕時もこれに連座、下総国に配流されたが、十年足らずで赦免され、政界に復帰している。
この事件こそが、前半部と後半部の編纂年代の問題を説明していると思われる。   このように考えると金沢氏一門の「吾妻鑑」 編纂説は有力と思われるが、どうであろうか、・・・・・とにかく金沢文庫と金沢・称名寺の歴史的意義は大きい。
この問題はまだ不明な点が多く、さらなる研究と、新しい発見が待たれる。  次回へ

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鎌倉の石塔・その周辺の風景(R)


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