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鎌倉幕府の歴史書

2018.01.23(07:00) 121

**「吾妻鑑」 の写本

「吾妻鑑」 は和風の漢文で書かれた鎌倉幕府の記録で、治承四年(1180)の源頼政(yorimasa)の挙兵から文永三年(1266)の将軍宗尊親王(munetaka)の帰洛までの87年間を記録した歴史書である。
幕府や武士の家に伝わる文書記録・公家の日記等が原史料だ。   その様な史料を月日を追って編纂したものです。   しかし、87年のうちの10年に及ぶ欠巻がある事は既にレポート済である。

 「吾妻鑑」 の原本は現存しないが、写本、木版本、研究書などの形で伝来され現在に至っています。 

●  写本 
   
〇  吉川家伝来(kitukawake)で大永二年(1522)書写の奥書を持つ・・「吉川家本」 (重要文化財・岩国市の吉川重喜蔵)
〇  小田原北条氏伝来と云われる・・「北条本」 (内閣文庫蔵)
〇  前田家伝来で僅か一巻(寿永三年~元暦元年・1184) 改元年、ではあるが、最古の写本とされる「前田家本」 (重要    文化財・尊経閣文庫蔵・鎌倉時代末写)
〇  「島津家本」 (原本紛失)
〇  毛利家伝来と伝える「毛利家本」 


など数種類の古写本が現存するが、いずれも金沢文庫伝来本・関西伝来本が典拠とされている。

1   紙本墨書      吾妻鑑    51冊    内閣文庫所蔵  
  
  本書は北条本の原本である。  金沢文庫本を応永11年(1404)に書写した古写本ををもと写したと考えられるもので、書写年代は文亀年間(1501~1503)と推定されている。   (伝) 小田原北条氏に伝来したもので、秀吉の小田原攻めの時に北条氏より黒田孝高に贈られ、それが黒田長政によって徳川秀忠に献上されたものと伝わる。
以後の木版本はみなこの北条本が典拠。

2   重要文化財   紙本墨書   吾妻鑑   1巻    尊経閣文庫所蔵

  本書は僅かに1巻、紙数24枚(寿永三年四月八日~十二月十六日)のみが、残される。
「吾妻鑑」の現存最古の写本とされる。   本巻は仁和寺・心連院旧蔵で、紙背は霊山実厳僧正作の山密往来である。   奥書に応永13年(1406)書写とある。

3    重要文化財    紙本墨書    吾妻鑑    抄録1冊   尊経閣文庫所蔵

  本書は吾妻鑑の抄録で文治三年(1187)から嘉禄二年(1226)までの記事の中から40数日間を抜き出したものである。 記事の半数は弓・狩猟に関するもので、他に曽我兄弟の仇討の記事などもある。   包紙に文治以来記録と書かれている、しかし不明な点が多かったが、前田綱紀公によって「吾妻鑑」の抄録であることが突き止められた。
現在では室町時代の写本と伝わる。

4   重要美術品   紙本墨書   吾妻鑑寛元二年記断簡  1軸   称名寺所蔵     (金沢文庫保管)

  本書は断簡七葉から成る巻子装の資料でで、「吾妻鑑断簡」 の題箋が付されており、古くは「吾妻鑑」の断簡であると考えられていたが、現在では前三葉が「二条教定卿記」 の寛元二年(1244)の断簡とされ、後四葉は藤原頼嗣が覚書(oboegaki)風に書き留めた「藤原頼嗣元服行始等書簡」である事が査定されている。   
筆跡も前後では異なっており、明らかに別のものと判断された。   「吾妻鑑」編纂時に補助的な史料として使われたのではと考えられている。   (鎌倉時代) 

5   (参考資料)   重要文化財    紙本墨書   建治三年記  1巻    前田家尊経閣文庫所蔵

   建治三年記は鎌倉幕府の問注所執事・三善康有(yasuari)の記した日記で、その職務に関係している幕府の重要な記録が伝わる。  特に建治三年(1277)は文永・弘安両役のほぼ中間にあたり、この日記にも緊迫した国際情勢の一端が覗える。
尊経閣本は金沢文庫に伝わったもので、三善康有が抄録した建治三年日記の原本に当たるものである。   したがって「吾妻鑑」 断筆後の鎌倉時代研究の基礎的な資料となるものとされる。

●  木版本

 江戸幕府は慶長十年(1605)に北条本を底本として「吾妻鑑」 を木活字で刊行した。    その後次第に校訂が加えられ、四種類の版本が神奈川県立博物館に所蔵されている。

〇  「慶長古活字本」・・・・・慶長10年(1605)刊     25冊

  同本は慶長10年に徳川家康が西笑承兌(seisiyou・siyoudai)・(相国寺92世住持で家康の政治顧問)に命じて木活字で刊行したもの。  本文には「吾妻鑑」 とあるが、表紙では「東鑑」 と中国風に改めている。
木活字を組んだものなので、刷りの濃淡やずれがみられる。

〇  「寛永木版本」  (初版) (再販)・・・・・寛永3年(1626)刊    25冊

  寛永本は慶長版を校訂して木版で刊行したもので、仮名や訓点が付けられている。    初版・再版本ともに巻末に林羅山(razan)の奥書がある。

〇  「寛文木版本」・・・・・寛文元年(1661)刊   25冊

  寛文本は寛永本を基にして刊行したもので、巻末には承兌や羅山の奥書を載せている。   内容に大差はないが、前三版に比較して紙質・刷り共に粗雑である。

「吾妻鑑」・ 版本には以上四種の他に寛文八年(1668)の平仮名版84冊がある。  これは、徳川家綱の命によって北条本を基にして、仮名本に訳したもので内閣文庫所蔵の物はその原本である。   巻末に「東鑑全部改丁仮名・・総合八十一冊也   他目録弐冊」 とあり、版行して世に流布させた。

●  研究書

  「吾妻鑑」 は武家の記録として重要な資料であったので、江戸時代以来多くの研究が為されている。  徳川家康が「吾妻鑑」に多大な関心を示したことは、良く知られている。  徳川三代に仕え幕政の中枢に関与した林羅山(razan)は、慶長12年に家康の命に奉じて「東鑑綱要」 を著した。
吾妻鑑を精読して記事の重要なものを抜き出して目録としたものである。  その子、鷲峯(siyuuhou)も研究を続け慶安四年(1651)に酒井忠勝(tadakatu)の求めに応じて「東鑑末記」 を著した。   これは「吾妻鑑」 断筆以降の文永三年(1266)から鎌倉幕府滅亡直前の元弘元年(1333)までの歴史を、仮名交じり文で著したものである。  
近年に「吾妻鑑」を研究した学者に大塚嘉樹(yosiki)がいる。  「東鑑別注」等を著し吾妻鑑全般にわたる注釈評論を加えているが、編纂時期について泰時・時頼時代と考証し、編纂者が北条氏の為に曲筆している事などを指摘している事は注目される。     次回へ
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