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鎌倉幕府の歴史書

2018.02.04(07:00) 125

**「曽我物語」と「吾妻鑑」

  成立年代は共に鎌倉末期。   一方は曽我兄弟の敵討ちを題材にした物語、もう一方は鎌倉幕府を取材した実録である。
このように同時代に創作、編纂された歴史書であるが、「曽我物語」は「吾妻鑑」の前史を記述すると共に、将軍頼朝のほぼ全時代を物語っている。  さらに幕府成立時代の「吾妻鑑」には記述の無い事柄までを語っている。
 「吾妻鑑」の欠落を補う事が出来るのだが、はたしてこの二つの作品は全く別々に作られたものなのか疑問が残る。

「曽我物語」について見てみよう、全十巻のうち第一巻は日本国の始まりを記して、平氏の流れ、源氏の流れを述べて、頼朝の時代となった事を語り、次いで伊豆国伊東氏一族の内紛を述べて、曽我兄弟の敵討ちの発端となった事件を描いている。

第二・三巻は、伊豆に流された頼朝が伊東から北条に移り、やがて鎌倉に入り関東の主となるまでを詳しく描いている。    第二巻の終りの部分で、頼朝と時政の接触があり、続く第三巻の全体で時政と頼朝が如何に結びついて、どの様に天下統一を成し遂げたかが描かれている。
まさにこれは、頼朝挙兵前史を正面から扱ったもので、「吾妻鑑」 の欠落部分を補完するものである。


四巻以後になると、曽我兄弟が工藤祐経(suketune)を敵と狙う中、三原・那須・富士野の狩場での関東の武士集団の活躍する姿が鮮やかに描かれ、そうした武士団の交流が描かれている。

さらに興味深いのは、曽我兄弟の成長と共に、鎌倉幕府が成長し、その成長に合わせて「曽我物語」 の記述も膨らんでゆく構成である。
兄弟の足取りは、上野・下野へと広がり、やがて富士野に勢揃いする武士は四ヵ国のほか、安房・上総・下総・常陸・下野・上野・信濃の御家人(豪族)たちである。

「曽我物語」と「吾妻鑑」との緊密な関係が明らかになってきた、「曽我物語」と「吾妻鑑」とは、北条氏を共通の基盤としているのである。
「曽我物語」もまた、北条氏の側から構想された物語の様だ・・・・・・・。

一方「吾妻鑑」の編纂にも金沢北条氏周辺の関係が関わった可能性がある事は、既にレポート済みである。
金沢氏は北条氏一門きっての文人武士であり、学問に精通する金沢実時(sanetoki)から顕時(akitoki)・貞顕(sadaaki)と続く文人一族が「吾妻鑑」を編纂する立場に近い・・・・・・。 
編纂に関わる記事が金沢氏周辺と結びつく。    同時代に創作された「曽我物語」も北条氏周辺の構想となるとその関連性は・・・・・・・・・・・。
金沢(北条)実時公・墓所  (横浜市金沢区・称名寺)
金沢実時墓
DSCN3564.jpg
金沢明時公・禎顕公墓所  (称名寺内・金沢氏邸宅跡)
金沢顕時・貞顕墓

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鎌倉の石塔・その周辺の風景(R)


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