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室町幕府

2018.05.15(07:00) 148

**鎌倉府

**持氏・改元を無視する  

   正長二年(1429)9月京都で改元が行われ、元号が永享(eikiyou)と改められた。
前年に即位した後花園天皇による改元であるが、義教(足利)にとっても将軍になって初めての改元である。   数日後には鎌倉にも通達された筈であるが、持氏はこの改元を無視して正長を使い続けた。

    朝廷が行う改元もその後ろには幕府があるとして、義教の代になってからの改元を認めない態度をとり続け、義教への抵抗の意思表示をしたのである。

   永享四年(1432)、将軍・義教の富士下向が幕府内で協議されていた。   それを知った管領・上杉憲実は、来年への延期を幕府に要請した。   理由は将軍の富士(関東)下向は主・持氏も「畏怖」 しており、近隣の武士たちが万一の行動に出た場合取り返しがつかないと訴えた。
  しかし、将軍・義教は京都を発ち、富士遊覧を無事終了し帰京した。  義教としては持氏を威圧するために必要な政治的行為であったと言えよう。

    鎌倉・鶴岡八幡宮に足利持氏が奉納した願文が伝来している。  一見朱墨で書いたと思われるほど鮮やかな赤い文字であり、朱墨に血を混ぜて認めたものと考えられている。
八幡宮は源氏の氏神であり、源氏である足利氏も、武家の棟梁となった尊氏以来厚く信仰した。  鎌倉公方・足利氏の鶴岡八幡宮に対する帰依も所領寄進などに窺え、天下安全・武運長久を祈らせている。

   持氏がこの願文を血書で認めた本意は「呪詛怨敵」、つまり呪いたいほど恨みのある敵とは、将軍・義教を指していると考えられ、持氏は義教打倒の決意を固めて、血書の願文を鶴岡に納めたのである。
   
    同時期に延暦寺が義教に叛く動きをみせ、延暦寺と鎌倉の持氏が同心しているとの風説が京都に流れた。  延暦寺が義教を呪詛し、持氏に上洛を勧めたという。   しかし、京都と鎌倉の平和な関係を望む管領・上杉憲実は、持氏の意向を極力抑える考えでおり、持氏と憲実の溝は一層深まってしまった。

永享六年から七年にかけて時氏は味方獲得に奔走している。  前述の延暦寺との同心の他、駿河国の国人を味方に入れ、さらに三河国の国人等も勧誘している。  分国外の与党造りに加えて、分国内では京都扶持衆を征伐したりの努力は怠らなかった。   一方、義教も関東分国を包囲する形で、隣接する越後・信濃・駿河諸国に鎌倉府への制圧準備を要請した。
  公方持氏四代祖・足利尊氏屋敷跡    鎌倉山之内・長寿寺
長寿寺庭園
長寿寺1
長寿寺・庭園      鎌倉・山之内
長寿寺
  


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   **運慶小辞典   

   ** 慶派による奈良・東大寺の巨像制作の流れを簡単に追ってみよう。  まず、建久五年(1194)12月26日快慶及び運慶の弟と目される定覚(jiyoukaku)が中門二天の造立を開始。 像高は二丈三尺(7メートル)です。   まさに同日、鎌倉では永福寺薬師堂の供養が行われていた。  運慶はまだ鎌倉にいて、二天の造像には参加して居なかったのでしょう。

   ** 翌建久六年春には、源頼朝・政子夫妻が嫡男・頼家(yoriie)を連れて上洛、大仏殿の落慶供養に臨みます。  これが運慶が奈良に戻る一つのタイミングであったと思われるが、はっきりしたことは判りません。

   *  建久七年(1196)、運慶を含めた総力を挙げて、康慶一門(運慶・父)は東大寺・大仏殿の6体の巨像の造立に取り組みます。  大仏師は、総師の康慶、後継者の運慶、そして定覚と快慶の4人。   この6体の像には頼朝の厳命により有力御家人がスポンサーとして付きました。  制作者とスポンサーは次の通りです。

●  観音菩薩 (大仏の脇侍)‣(六丈の坐像で約9㍍)仏師─快慶・定覚・・・援助─宇都宮朝綱  消失 
●  虚空蔵菩薩 (大仏の脇侍)・(六丈の坐像で約9㍍)仏師─運慶・康慶・・・援助─中原親能  消失 
●  持国天 (四天王・四丈三尺の立像で約13㍍) 仏師─運慶・・・援助─武田信義    消失
●  増長天 (四天王・四丈三尺の立像で約13㍍) 仏師─康慶・・・援助─畠山重忠   消失
●  広目天 (四天王・四丈三尺の立像で約13㍍) 仏師─快慶・・・援助─梶原景時  消失
●  多聞天 (四天王・四丈三尺の立像で約13㍍) 仏師─定覚・・・援助─小笠原長清 消失

  以上が大分殿の造仏であるが、そのスケールの大きさは破格である。 又、その製作日数が半年足らずと云うのですから驚きです。 しかし残念ながらこの仏様たち戦国時代の兵火で焼失してしまっていますので、拝観する事は出来ません。  現在の私たちは修復が施された大仏様のみが拝観可能です。

平成30年戊戌・戊午・丁未
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鎌倉の石塔・その周辺の風景(R)


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