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戦国時代

2018.09.07(07:00) 176

**戦国期の北条氏

**国府台合戦(kounodai)

    北条氏綱は江戸城奪取に成功したものの、南関東の情勢は必ずしも北条氏に有利には展開していなかった。
  江戸城奪回・相模回復を目指す扇ヶ谷上杉朝興は、甲斐武田氏との連携を強化するため、娘を武田信虎の嫡男晴信(harunobu)に嫁がせた。  この婚姻は娘が嫁ぎ先で亡くなった為充分な成果を挙げる事が出来なかったが、氏綱が連携する今川氏輝の援軍として甲斐に出陣した隙を突いて、朝興は相模に乱入し、大磯・平塚・二宮などを放火して回った。しかし、氏綱はただちに帰国し、反撃に移り、逆に河越城まで攻め寄せた。

   同じ頃、駿河今川氏輝が24歳で急死し、内紛が起きたが氏綱は承芳(siyouhou)(義元)に援軍を送り、義元の家督相続に貢献した。    ところが、義元は敵対していた武田信虎の娘と婚姻し、「駿甲同盟」 を成立させた。 それは、北条氏と敵対関係になる事を意味していた。
何故義元が外交路線を転換させたのかは定かでなないが、対外的には、関東の山之内・扇ヶ谷上杉がとった、甲斐武田・駿河今川との連携による北条氏包囲網の形成という外交戦略に乗ったものと考えられる。 また、氏綱が義元の家督相続に大きな力となった事、富士川以東に早雲時代の旧領が存在した事、氏綱の弟が駿河の有力国人葛山氏(katurayama)の当主となっていた事などから、今川氏が駿河支配を確立するためには北条氏の影響力を排除する必要があると、義元が判断したためと考えられる。

   しかし、北条氏にとっては、今川は元々主筋あたるとして、さまざまに貢献してきた相手であり、裏切られた事への氏綱の怒りは大きかった。「駿甲同盟」 成立後、直ちに軍勢を派遣し、数日間で富士川一帯を占領した。  このこと自体、この地域への北条氏の影響力の強さを示すものといえる。  重要なのは、これを通じて北条氏が今川家に対する主家意識を払拭し、早雲が駿河に下向して以来とってきた「親幕府」の立場を断ち、まさに東国に根差した戦国大名としての意識を確立した事である。

    それを端的に示すのが、関東管領就任と鶴岡八幡宮造営である。   国府台合戦を契機に北条氏と古河公方との関係は親密となり、合戦を勝利に導いた勲功により、氏綱は古河公方・足利晴氏から関東管領に任命された。  また氏綱の娘が晴氏に嫁ぎ、北条氏は足利氏「御一家」 の地位を獲得した。
  北条氏は、山之内上杉に替り、古河公方を支える管領の立場から、関東に覇を唱える事になるのである。     
  鶴岡八幡宮は頼朝以来、関東武士の崇敬を集める信仰の中心だったが、相次ぐ戦乱により鎌倉は荒廃し、社殿の破損も進んでいた。  早雲が鎌倉に入った時、「枯るる木に、また花の木を 植え添えて 木の都に 成りてこそ見め」 と、鎌倉復興の意思を和歌に託したとされている。   氏綱は、父の遺志を受け継ぎ、さらに里見軍乱入で本殿以下が焼失したのを受け、八幡宮の大造営事業に着手した。
 この事業をほぼ独力で遂行した北条氏は、まさに関東の覇者としての立場を広く世に知らしめたのである。 その後氏綱は病を得て天文十年(11542)7月出家して死去、55歳であった。
金沢・称名寺の風景
称名寺山門
称名寺
称名寺唐橋
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■ 北海道の皆様、大地震(胆振)お見舞い申し上げます。 一日も早い復興を願っております。
    

      **運慶小辞典

◆◆ 今回の運慶作品の真作は厨子に入った30㎝の小像ながら、制作当初の荘厳が完存するのは驚異的だ。
この厨子入の大日如来坐像は、前回記載した東京・真如苑の大日如来と同じく鑁阿寺(hannaji)の縁起に記述のある足利義兼(尊氏6代祖)造立の金剛界大日に当たる。
  真如苑の大日と同じく樺崎寺の赤御堂に伝来し、同寺が明治初年に廃寺となった際に付近の光得寺(koutokuji)(足利市)に移された。 一見して円成寺・真如苑の大日如来によく似ているが、キャリア的にも円熟期に入った運慶作品だけに専門家は両像を凌ぐと評価する。

〇 大日如来坐像【31・3㌢・厨子83・7㌢木造割矧造り漆箔】仏師・運慶 建久10年・現存(重文) 光得寺所蔵 作風、像内納入品の形式、文献
  足利・ 光得寺・厨子入り大日如来坐像
光得寺・大日如来坐像
(資料)   芸術新潮 2017・10月号より
◆ 足利義兼の妻は北条政子の妹。 つまり義兼は頼朝の義弟に当たる。源平の合戦で活躍し、源氏一門として幕府内でも高い待遇を与えられた。  しかし、源範頼、義経や甲斐源氏の面々の粛清から判る通り、かなり慎重は処世を要する立場でもあった。

平成30年戊戌‣壬戌・壬寅
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鎌倉の石塔・その周辺の風景(R)


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