FC2ブログ

タイトル画像

戦国北条氏・五代

2019.12.20(07:00) 270

**戦国大名・北条一族

**前章(続)・姉北川殿

    盛定の事績で注目されるのは、伊勢本宗家と駿河今川氏との間で、本宗家から今川氏宛に出される文書の文案作成を行うなど取次の役割を勤めてていた事である。
 盛定の娘(姉北川殿)が、応仁元年(1467)に今川義忠の正室となるのも、そうした政治的関係があったからであろう・・・。

    宗瑞の前身である伊勢盛時は、盛定の次男とされる。  ただし、兄とされる貞興の動向は殆ど知られていないので、盛時は早くから嫡子の立場にあったとみられる。  備中国荏原郷内に所在し、菩提寺である長谷法泉寺(岡山県)に禁制を下している。 これが盛時の史料上における初見で、時に十六歳である。(1456生説)

   「伊勢新九郎盛時」 の名が登場するのは、室町幕府九代将軍足利義久の申次衆として活動する明応元年(1492)から幕府直属軍を構成する奉公衆として活躍する頃である。
  これより以前の応仁年間に、宗瑞は伊勢に下って今出川殿足利義視(義政弟)に仕え、その後尾張に移り、さらに義兄今川義忠を頼って駿河に下向したという。  そしてそのまま駿河に逗留し、文明八年義忠の死後、今川家の家督相続をめぐる内乱で姉北川殿・甥竜王丸(氏親)を助けて調停に大きな役割を果たし、乱後にその功賞として竜王丸から駿河国富士郡下方荘(富士市)等が与えられたという。

   宗瑞は、氏親(竜王丸)の外叔父という姻戚関係に加え、そうした氏親の今川氏家督継承における功績により今川氏家中で台頭し、氏親を支える中心的存在になったとみられる。  駿河下向後、伊勢新九郎の名で見えるが、その後の文書には法名宗瑞での署名が多くなる。
  宗瑞は延徳三年(1491)から明応四年(1495)までの間に出家したとみられ、その契機は明らかではない。 後で記述するが、この後伊豆乱入を果たしている事を見ると、この伊豆乱入を契機に出家したのではないか・・・・・・。 出家は政治的転機に伴って行われる場合が多い。 宗瑞にとって伊豆乱入は、まさに大きな政治的転機であった。    
  この出家は、一方では幕府奉公衆からの退任とそれに伴う幕府への出仕の停止を意味した。  すなわちそこには、幕府権力からの明確な自立とみる事とが出来る。

**伊勢宗瑞・伊豆乱入

   宗瑞が今川氏家中から相対的に自立し、戦国大名へと転身を遂げていく、最も大きな政治的転機を成したのは、やはり伊豆平定であろう。  文明十四年(1482)の幕府・堀越公方足利氏と関東管領・山之内上杉氏と古河公方足利氏の和睦の後、伊豆は堀越公方足利政知の分国とされていたが、政知が死去すると、その家督をめぐって争われ、嫡男・茶々丸が継母等を殺害し、実力を持ってその家督を継承した。 
  その後も家督騒動は収まらず内乱状態は続いていたのであるが。  そうしたタイミングで伊豆に乱入したのが宗瑞である、しかし、その行動は今川氏の政治的行動の一環として為された事はいうまでもない。  さらに、この乱入は京都で勃発した幕府管領細川政元によるクーデターと連動していた事が明らかにされた。 
  細川政元のクーデターというのは、将軍足利義材を廃し、義高を新将軍に擁立した事件である。  義高は政知(堀越公方)の次男であり、政知死後の争いを克服して家督を継承していた兄茶々丸は、彼にとってはいわば母と弟の敵にあたる存在であった。しかも堀越公方権力の中でも、幕府・関東勢力に対して、路線を巡る対立があり、それが政知派と茶々丸派との対立、それが伊豆の内乱として表現されたとみられる。

   氏親・宗瑞は中央政界で細川政元と親密な関係にあり、堀越公方との関係では政知派と親密な関係にあった。  今川範滿方は茶々丸派と繋がっていたから、そのため範滿討滅により、茶々丸派との関係が悪化していたようである。
  そうした伊豆の内乱状態は直接に影響を被るものであったとみられる。  宗瑞は、中央における細川政元の政変に乗じて伊豆に乱入し、対立勢力の一掃を図ったのではなかろうか・・・・。

   さらに実際の伊豆乱入は、周辺地域における領主間の対抗関係とも連関して行われた。  当時、関東では、関東管領山之内上杉顕定と相模国守扇ヶ谷上杉定正による抗争が展開されていた。 (長亨の乱)
  伊豆は山之内上杉氏の勢力圏であり、同氏は茶々丸支持であった。  その為宗瑞は、乱入にあたって扇ヶ谷上杉氏との連携を成立させている。   そして隣国甲斐でも、守護武田信綱と父信昌・弟信恵による内乱が展開されており、氏親・宗瑞はこの内乱にも介入していた。
  こうした宗瑞の伊豆乱入が、関東における内乱状態を刺激し、長亨の乱の再発の契機となったのであろう。
北条早雲(伊勢宗瑞)像  JR小田原駅新幹線口
DSCN5477.jpg
早雲禅寺   箱根湯本
DSCN5515.jpg
戦国北条氏系図(次代迄)
戦国北条氏初代期

次回へ

令和元年・己亥・丁丑・辛卯
スポンサーサイト





鎌倉の石塔・その周辺の風景(R)


歴史雑学 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
<<戦国北条氏・五代 | ホームへ | 戦国北条氏・五代>>
コメント
コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する