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戦国北条氏・五代

2020.03.15(09:00) 287

**戦国大名・北条一族

**玉縄北条氏と玉縄城(鎌倉市・大船)

   明応三年(1494)、扇ヶ谷上杉氏と山之内上杉氏が対立している頃、扇ヶ谷上杉氏は、玉縄要害(大船)を攻略。 同城には山之内上杉氏の家宰・長尾忠景の重臣矢野右馬助が在城していたが、落とされている。  代わって扇ヶ谷上杉氏家老で相模守護代の上田正忠が在所したが在城せず放置されたらしい・・・・。 同じ頃、相模東郡に大庭要害(藤沢)を構築、当主弟の朝昌が在城している。

   永正九年(1512)伊勢宗瑞は扇ヶ谷上杉氏に再び敵対し三浦氏の相模中郡岡崎城を攻略、次いで東郡鎌倉を占領し、相模中部・東郡を経略、三浦道寸は三浦郡住吉に撤退する。  宗瑞はこの時有名な「和歌」を詠んで鎌倉に入っている。
  宗瑞はこの年、三浦氏(住吉要害)に対する向かい城として、玉縄城を再興したとみられる。  玉縄城の歴代城主は、必ずしも親子関係にあったわけでもないが、北条氏の一族が務めており、玉縄北条氏として把握されている。

   玉縄城は、その成立以降、関東への進出及び本拠小田原の防衛の要として、北条氏の重要拠点であった。  その為城主には、宗瑞の子である初代氏時、氏綱の子である二代為昌、と北条氏当主の子息が配置され、防衛の要としての役割を担っている。  為昌は、天文元年(1532)に僅か十二歳で城主となり、玉縄に加えて三浦郡、武蔵小机城を管轄し、相模川東部から多摩川までに至る広い地域を支配しました。 当時、北条領は江戸地域が最前線であった為、玉縄城は北条領支配に於いて重要な役割を果たしていた。
 為昌は幼い城主であった為、氏綱の娘婿の福島綱成が後見した様だ・・・・・。 また、為昌には一族の大部分が襲名している「氏」の通字が無いが、それは元服して城主に就く際、早雲の従兄弟にあたる大道寺盛昌(鎌倉代官)が烏帽子親となった事からと言われている。
  為昌元服の六年前、安房の里見氏が東京湾を渡って鎌倉に侵入、北条の軍と鶴岡八幡宮付近に於いて戦闘となり、一帯が兵火により焼失したと伝えられる。 鶴岡八幡宮の再建は氏綱により始められたが、「快元僧都記」の記述の中に「為昌彦九郎殿、築地十二軒請け取る」の記述が見られ、為昌が北条一門として工事に参加し、奈良、京都、伊豆、鎌倉番匠と一緒に工事に携わった事が判る。

   その後、為昌は数々の戦闘に、父氏綱、兄氏康、叔父宗哲と並んで一軍の将を務め、軍事、外交、行政のあらゆる側面において、氏綱、氏康を支える存在となっていたが、天文十一年(1542)、弱冠23歳で死去している。 実子がなかった為、北条綱成が養子となり、三代玉縄城主となりました。


**氏綱の妻・子女

    氏綱には二人の妻の存在が確認されている。前妻の出自は不明で、法名を養珠院殿春花宗栄大禅定尼といった。 忌日は大永七年七月であることが、十三回忌法要が行われた事から判っているが、それ以外のことは判っていない。

   後妻は関白近衛尚道の娘と思われる、婚姻の時期は明らかでないが、氏綱と近衛尚道の交流の推移から享禄四年(1532)頃の事と推測される。  彼女の弟の年齢などから当時の彼女の年齢は35歳前後と推定される事から、この婚姻は多分に名目的なものであぅた事が窺われる。  氏綱としては京都政界への強力なパイプを形成すること、摂関家と婚姻関係を結びうる程の家格の上昇を図って行われたのであろう。

  氏綱の子女は、四男六女が確認される。  嫡男は氏康で永正十二年(1515)生まれ、母は養珠院殿であろうか。  幼名伊豆千代丸、仮名は氏綱と同じ新九郎を称した。 北条氏三代当主となる。 次男は早世したようである。  三男が為昌で、永正十七年生まれ、仮名は彦九郎。 相模玉縄城主・武蔵河越城代を勤め、天文十一年に死去している。享年23歳。  玉縄城主は義兄の綱成に継承された。  四男は氏堯といい、大永二年の生まれ、武蔵小机城主を務めた。
   他に養子的存在として娘婿の綱成がいる。 これ迄綱成は氏綱の婿養子になったと考えられてきたが、娘婿となった事を基に北条氏御一家衆に加えられた可能性が高い。  駿河今川氏の宿老福島氏の出身。 氏康と同年齢で、後に為昌の遺跡を継承して玉縄城主を務めている。 その子孫は代々に渡って同城主を務めた。
  女子は、太田資孝室、北条綱成室、吉良順康室、足利晴氏室、堀越六郎室、葛山氏室である。 成年などの詳しいことは不明であり長幼の順は明らかではない。
玉縄城址石塔    (鎌倉市・玉縄)
玉縄城址
現在も地名として残る  「玉縄」
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鎌倉・玉縄城主(第二代) 北条為昌・・・・小田原本城・北条氏康弟の系図
氏康・為昌

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    令和二年・庚子・庚辰・丁巳



 

   
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鎌倉の石塔・その周辺の風景(R)


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