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戦国北条氏・五代

2020.06.15(08:00) 305

**戦国大名・北条一族

**氏政の妻・子女

    氏政の妻は二人の存在が確認される。最初の妻は武田信玄の長女黄梅院殿、後妻は出自不明の鳳翔院殿である。
 黄梅院殿は、天文十二年(1543)生まれ。 甲相駿三国同盟形成の一環として氏政に嫁いだ。その後は「小田原南殿」と称されている。 一男一女をもうけたが、嫡男は早世し、女は千葉邦胤室の可能性が高い。  その後、永禄五年(1562)に長男氏直、三男氏房を生んでいる。 さらにその後四男直重をを生んでいる。

   しかし、信玄の駿河侵攻によって、北条氏と武田氏の同盟関係は崩壊し、おそらく黄梅院は離別され、武田氏の許に帰された。 堪忍分として甲斐南古荘内に一定の領地を与えられた。 しかし、暫くして甲府で死去している。享年二十七歳、法名は黄梅院殿春林宗芳大禅定尼。 甲府大泉寺内に菩提寺として黄梅院を建立している。

   後妻の鳳翔院殿については、具体的な事は殆ど伝わらない。  そして籠城中の天正十八年(1590)に死去、法名は鳳翔院殿寄雲宗崇大禅定尼。 これは氏政の母瑞溪院殿と同日の死去であるから、自害の可能性があろう。

   氏政の子女としては、七男三女が知られているが、実際の長男として、弘治元年に誕生している某がいるが、早世している。母は武田氏。この某の死後に長男として生まれたのが、家督を継承した氏直で、永禄五年生まれと伝わる。母は武田氏で幼名は国王丸。
  次男は源五郎で母は武田氏とみられ国益丸、後に岩付城主になる。  三男は氏房で、母は武田氏で幼名は菊王丸、その後次男の後を受け岩付城主を務めたが、文禄元年に死亡している。
 四男は直重で、母は武田氏と見られる。仮名は七郎。はじめ叔父氏照の養子になっていたらしいが、下総千葉邦胤の遺女の婿となり、その名跡を継承し、作倉城主を勤めた。  小田原合戦後は阿波蜂須賀家の家臣となった。


   女子は、千葉邦胤室(芳桂院殿)・里見義頼室(竜寿院殿)・庭田重貞室である。  他に養女が三人あり、皆川広照室(実は中御門宣綱の娘)・小山秀綱室(実は成田氏長の娘か)・上杉氏憲室(実は北条氏重の娘)である。
功徳山早雲禅寺天嶽院・中雀門
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天嶽院・中雀門参道
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天獄院・真言密教の古寺「不動院」から始まる
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令和二年・庚子・癸未・己丑
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鎌倉の石塔・その周辺の風景(R)


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