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古都・鎌倉の成り立ち

2016.10.03(19:39) 4

奈良時代

奈良に都があった八世紀初め、相模の国府は海老名(ebina)や平塚に在ったといわれ、国分寺・国分尼寺も建てられ、地方政治の中心地になる。  鎌倉郷は、相模国・国司の支配下にあり、租税を徴収されていた。
「古事記」にも鎌倉の地名が残されているそうだ。・・・また日本最古の歌集「万葉集」にも鎌倉の地名が出てくる。
昭和六十年代に行われた発掘調査によって、鎌倉市御成町(onari)の御成小学校の敷地内から「天平五年(733)」の年号が書かれた木簡や、奈良・平安時代の役所である「官衙」(kanga)・(鎌倉郡衙)の跡が発見されました.。   また、この時代に建立されたと伝わる寺社に、長谷の「甘縄神明神社」、二階堂の「杉本寺」がある。 鎌倉では最古と伝承される。
天台宗・杉本寺(下馬観音)・(鎌倉・二階堂)本堂
杉本寺・本堂

平安時代

初期の鎌倉については「倭名類聚抄」に、鎌倉郡は、沼浜・鎌倉‣埼立・(sakitate)・荏草(egaya)・梶原・尺度(sakado)・大島という七つの郷から成ると記されている。
鎌倉幕府の記録書「吾妻鑑」には山の内荘の名も見える。 荘園を示す地名が出てくることは、鎌倉郡の中に公領の他、私領もあったと推測される。
平氏一族である鎌倉権五郎景政が、先祖からの土地である大庭(ooba)の地(現在の藤沢・茅ヶ崎・鎌倉の一部)を伊勢大神宮に寄進した記録が残る。「天養記」
この時期に建立されたのが材木座の由井若宮(元八幡)。  その他伝承を持つ寺社は、手広の青蓮寺・坂の下の御霊神社・二階堂の荏柄天神等があげられる。
荏柄天神・石塔(二階堂・鎌倉青年団)
荏柄天神社・石塔


源氏と鎌倉との関りはこの頃に始まる、源頼義は、相模の守として東国に下り、前九年の役で奥州・安部氏を討伐した。 その役に臨んで源氏の氏神である京都石清水八幡宮に武運を祈願して勝利したので、康平六年(1063)に鎌倉・由井郷に石清水八幡宮を勧請し、社殿(由井若宮)を造営した。頼義の子義家(八幡太郎)は、永保元年(1081)に社殿の修理を行った、これによって鎌倉と源氏の縁はさらに深まり、鎌倉は源氏の本拠地となっていった。

*源頼義(minamoto・yoriyosi)・・・・頼朝から六代上る祖。

十二世紀半ばの天養年間、源頼朝の父である、義朝(yositomo)が亀ヶ谷、現在の扇ヶ谷・寿福寺の辺りに住んでいたといわれる。
臨済宗・寿福寺参道(鎌倉五山第三位)・(扇ヶ谷)
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*鎌倉時代

父・義朝が平氏に敗れ、伊豆に流れていた頼朝は治承四年(1180)挙兵したが石橋山の合戦でもろくも平氏に敗れ房総に逃れた。それでも房総半島で勢力を整え、武蔵でさらに兵力を加え鎌倉に入り、大倉に屋敷を構えた。  現在は清泉小学校が、その地である。
建久三年(1192)頼朝は、征夷大将軍となり、鎌倉を武家政治の中心地とした。
頼朝が幕府を開く地として鎌倉を選んだ理由は、古来、源氏との深いつながりがのある土地であったこと、一方が海に開けて三方を山で囲まれた城壁に囲まれたような、防御に適した地形であったことなどが考えられている。
頼朝はまず由井郷にあった若宮を移し、鶴岡八幡宮を町の中心に据え、若宮大路をはじめ、小路などの区画整備に着手。
侍所(samuraidokoro)・公文所(kumonjiyo)・問注所(montiyujiyo)等を置き、要所要所に御家人の館を配した。
また、杉本寺や荏柄天神など寺社再建に力を注ぎ、勝長寿院、永福寺などを建立し先祖や戦没者の供養を大切にした。

建久十年(1199)に頼朝が亡くなると、頼家が跡を継ぐ(二代将軍)が、母北条政子や北条時政に実権を握られてしまう。
さらに、将軍職を追われ、伊豆に幽閉されてしまう。 実権は三代将軍・実朝に移るが、傀儡政権である。  執権・北条時政や母政子に操られた。
健保七年(1219)正月鶴岡八幡宮で行われた右大臣拝賀式で行われた直後、頼家の子で、甥の公卿(kugiyou)に殺害され、源氏の将軍は三代で絶えた。
その結果武士の名門源家は伊豆の下級武士・平時政に舅という立場を利用して政権を奪われたのである。  尼将軍と呼ばれた北条政子は、後鳥羽上皇の皇子を将軍に迎えようとするが失敗し、頼朝の遠縁である藤原頼経を将軍に据える。 その後、「承久の乱」に勝利した鎌倉幕府の基盤は強固なものとなる。
元仁元年(1224)、義時の子泰時が三代・執権となり、幕府を大倉から宇津宮辻子(utumiyazusi)に移した。
その後に、御成敗式目(貞永式目)を制定し、和賀江島を築港し、大仏を建立、朝夷奈切通しを開通するなど鎌倉の整備は孫の五代執権北条時頼まで引き継がれる。

平成二十八年・丙申・己亥・乙丑
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鎌倉の石塔・その周辺の風景(R)


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