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鎌倉北条氏

2017.04.12(07:00) 50

**全盛時代の到来

*得宗専制

宝治合戦によって三浦氏と鎌倉幕府草創以来の坂東の御家人が数多く没落し、北条とその姻戚安達氏(adatisi)が一人勝ちする結果に終わりました。 宝治合戦以後、鎌倉を舞台とした大きな政変は無くなり、巨大化した北条氏が鎌倉幕府を主導する 「北条氏の平和」 と呼んでも良い安定した時代に入りました。
この政治体制は、北条氏本家の家長が幕府を主導する事から 「得宗専制」 と呼ばれています。

巨大化した北条氏は、北条家の意思決定を行う会議として寄合(yoriai)を組織し、北条氏一門・北条氏を支持する有力御家人や幕府の高官、北條家の被官の有力者の合議によって得宗家の意思決定を計りました。
北条氏とその支持勢力が多数派を占める幕府では、幕府の方針について検討する会議評定は多数派の北条氏の意見が優先され、担当者による現実的な部分修正といった現場の意見を尊重する調整が行われる程度のものとなった。
しかし、幕府の公式見解は、幕府の公文書や評定の結果を整理した事書(kotogaki)といった書類として対外的に示されるため、寄合の追認にすぎない評定であっても制度として形式を踏まなければなりませんでした。
この体制で政権運営が行われた五代執権・北条時頼・六代執権北条長時(極楽寺)・七代執権北条政村(常盤)の時代が、戦争のない繁栄の時代となるのです。


**北条実時と金沢北条氏の成立

ここで、レポートを金沢北条氏の成立と成長に移します。
金沢北条氏は、二代執権・北条義時(yositoki)の子実泰(saneyasu)が武蔵国・六浦庄(muturanosiyou)を相続したことに始まります。 六浦庄は武家の都鎌倉の東に隣接する荘園で、鎌倉の防衛拠点である事、鎌倉で消費する物資を陸揚げする六浦津を領内に持つ事、六浦津と鎌倉とを結ぶ六浦道が通っている事など、鎌倉の後背地として重要な荘園でした。 金沢北条氏は、この重要な荘園を管理する仕事を任されたのです。
六浦道を整備‣朝夷奈切通しを開通
朝夷奈・切通し
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北条実泰(saneyasu)は、六浦庄蒲里谷郷(kamariyagou)に館を構えました。 北側から山越えをして鎌倉に入る白山道を抑える要害となる処です。 三代執権北条泰時は、仁治二年(1241)、朝夷奈切通しを改修し、六浦津と鎌倉を結ぶ六浦道の輸送力を高めました。  それに伴い、北条実時(実泰・子)は本拠地を釜利谷(kamariya)から金沢に移し、金沢郷を館と菩提寺と城郭を集めた複合区画として整備しました。
北条実時の金沢郷開発により、六浦庄は港湾地帯の六浦津と金沢郷の二つの拠点を持つ様になりました。

金沢北条氏二代北条実時は、北条泰時から嫡孫・経時(tunetoki))の腹心として抜擢され、小侍所別当として将軍御所に出仕する御家人の管理をする仕事に就いていました。
侍所は幕府に所蔵する御家人を管理する役所、小侍所(koamuradokor)はその中から将軍御所に出仕して仕事をする御家人を選抜して管理する役所です。
小侍所の成立によって、御家人は将軍御所に出仕する小侍所簡衆(fudasiyuu)と一般の御家人の二階層に分かれました。

先の宮騒動で,実時は将軍御所に集まった御家人を率いて大殿九条頼経(yoritune)の支持勢力を封鎖して分断する重要な役割を果たしました。

急遽、兄の跡を継いだ五代執権時頼は、前政権の人材をほぼそのまま踏襲した。    実時は、執権・時頼が始めた寄合衆に選ばれ、腹心として活動を始めました。
北条時頼の信頼できる側近として、引付衆・評定衆・引付頭人と順当に昇進し、金沢北条氏を一門の中でも重臣に列する家に昇格させました。

北条実時は、鎌倉の西御門(nisimikado)と甘縄(amanawa)に館を持っていました。  鎌倉の館は災害に弱く、実時は京都の公家や官人に倣って、本拠地の金沢に館と文庫を構え, 鎌倉の館には仕事に必要な書物を置くようにしました。
金沢文庫は金沢館の文庫(ふみくら)という意味で、仕事で使う書類や典籍は金沢館の文庫に納められた原本から写本や写しを作り、鎌倉の館に置かれたと思われます。
収集されたものには、漢籍、政務に必要な日記、記録、次第書、家政の運用に必要な書類や古文書、歴代家長の嗜好によって集められた書物群などが納められた。
金沢北条氏は、実朝の時代から裕福で知られた家だったようだ、書物を一冊づつ集めるのではなく、交渉してまとめて収集する傾向がありました。  この傾向は、称名寺の聖教にも見られ、時に珍品が混在したようだ。
次回に続く

丁酉・乙巳・己巳
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鎌倉の石塔・その周辺の風景(R)


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