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*「吾妻鑑」*

2017.05.22(06:07) 60

**吾妻鑑とその特徴

*記事の特徴

 「吾妻鑑」 の記事は、貴族の日記と同じく和風漢文で書かれている。  一例として頼朝が政子を鎌倉に迎えて、鶴岡八幡宮を浜から移したときの記事を、原文と訳文を列記します。

治承四年十月・・・。
十一日庚寅。 卯刻。 御台所入御鎌倉。 景義奉迎之。 去夜自伊豆国阿岐戸郷。 雖令到着給。 依日次不宣。 止宿稲瀬河辺民居給云々。

治承四年十月・・・。
十二日辛卯。 快晴。 寅剋。 為崇祖宗。 点小林郷之北山。 構宮廟。 被奉遷鶴岡宮於此所。 以専光坊暫為別当職。 令景義執行宮寺事。

〇 十一日庚寅。 卯剋、 御台所、 鎌倉に入御し、 景義、 之を迎へ奉る。 去夜、 伊豆国阿岐戸郷より到着せしめ給ふと雖も、 日次、 宜しからざるに依り、 稲瀬河辺の民居止宿し給ふと云々。
〇 十二日辛卯。 快晴。 寅剋。 祖宗を崇めんがため、小林郷の北山を点じ、 宮廟を構へ、 鶴岡宮を此の所に遷し奉る。 専光坊を以て暫く別当職と為し、 景義をして宮寺の事を執行せしむ。


*景義・・・・・大庭景義・鎌倉初期の御家人(大庭景親兄弟)
*稲瀬河・・・・・由比ヶ浜に流れ込む河川。
*小林郷北山・・・・・現・八幡宮若宮
稲瀬川・石塔 (鎌倉市・由比ヶ浜) 治承四年、御台所・政子鎌倉入の記述あり。
稲瀬川石塔
元八幡宮本殿及び石塔(鎌倉・由比ヶ浜)
DSCN2892.jpg
元八幡・石塔

この様にその日、その日ごとの干支と天候、時刻を記し、当日に起きた事を記しているが、天候や時刻などは記さない場合も多い。
これは原資料の違いに基ずくと思われる。  また一連の事件はそれぞれに起きた日に分割して記され、同じ日に違った内容の記事がある場合には、多くは 「今日」 という形で続けて記している。

出来事は鎌倉が中心となって記されており、遠方で起きた事件も情報が鎌倉にもたらされた場合には、その鎌倉に伝わり、鎌倉で処理されたりしたときにかけて記されている。

人名の記載は、基本的には官位がある場合にはその官位で記される。  頼朝の場合で言えば、兵衛佐(hiyouenosuke)であったことからその唐名(toumiyou)である 「武衛」 や 「前武衛」 、二位で叙された後には 「二位」 「二品」 などと記され、敬語によってその行動が語られている。  さらに頼朝の兄弟や源氏の一門などは官職か、さもなければ実名の後に 「主」 (nusi)がつけられた。
ある記事では、義経は検非違使(kebiisi)の左衛門少尉(saemonnosiyoujiyou)である。 「廷尉」 (teii)と記されたり、 「義経主」 と記されたりしている。

ただし北条氏の場合、時政に官職が無かった時には 「北条殿」 と記し、その子らには、実名や苗字に 「主」 を付している。 「吾妻鑑」 は北条氏に特別な記載をとっている。   次回に続く

丁酉・丙午・己酉
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鎌倉の石塔・その周辺の風景(R)


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