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*「吾妻鑑」*

2017.06.07(06:12) 64

**「吾妻鑑」 欠落部の謎

**将軍の継承・得宗=執権の継承

頼朝将軍記の終わっている建久六年(1195)、の重要事件には、三月に東大寺大仏殿の落慶供養の為の頼朝上洛がある。  その上洛を以て頼朝将軍記は終わったと考えられる。   そこでこの上洛の意味を考えると、東大寺の供養を済ませた後、嫡子頼家の参内を記述しています。  鎌倉には既に頼家の厩も出来上がっている。  上洛は頼朝の後継者として、頼家を朝廷に披露し、認知させる機会だったのである。

頼朝の死後、将軍は頼家に継承された。 「吾妻鑑」 が将軍の継承について詳しく既述したのは当然にだが、更に得宗=執権の継承についても詳細に記述している。
元久二年(1205)、北条時政の後妻・牧之方は次期将軍を巡って陰謀を廻らし、朝雅(tomomasa)を将軍とすべく図ったが、尼御台所の意見で実朝を義時邸に匿った。

これは尼御台所(政子)の力によって時政から義時に執権の座が継承されたことを物語っています。 更に義時から泰時への継承も、義時の跡を継いで 「関東の棟梁たるべきは、武州なり」 と指示したのは政子の力によるものであった。
こうして執権は北条氏の家督に血統として継承されてゆく体制が整えられ、康元元年(1256)、には時頼は子の時宗(tokimune)の代官として執権を北条長時(nagatoki)に譲ったのであった。  ここに直系の系統に継承される得宗=執権家の揺るぎない位置が確立するのである。
血統によって伝えられる得宗家に対して、将軍家の方では血統の継承は二代で終わっている。  頼家に次いで三代将軍となった実朝は、頼家が頼朝の 「遺跡」 を継いで将軍となったのとは違い、 「関東長者」 として将軍宣下を受けている。 血統によるものではなかった。  その後の藤氏(藤原)将軍は頼経・頼嗣(yoritugu)の二代で終り、宗尊・維康(koreyasu)の親王将軍も二代で終わっている。  得宗家は血統に継承されるという観念こそ、 「吾妻鑑」 のもう一つの大きな主張であったと思われます。

** 「吾妻鑑」 の成立

 「吾妻鑑」 は果たして最初から 「吾妻鑑」 と呼ばれていたのでしょうか。・・・・・一体、「鏡」 と称される歴史書は 「大鏡」 に始まって南北朝期の 「増鏡」 にいたるまで、すべて和文体であるのに、 「吾妻鑑」 のみ和風の漢文体であるのはどうしてでしょうか。

鎌倉末期にはこうした記録は、一般的に 「記」 と呼ばれたが、他に 「抄」 と呼ばれることもあった。 しかし 「吾妻鑑」 の記事はあまりにも詳細で、集成的なので、やはり 「記」 と見た方が実態に近いと思われる。
それでは上の字はどうであったのか。・・・・・金沢文庫の文書中に記述された、「鎌倉治記」 という書物がそれではないかという説が有望である。   もちろん、 「鎌倉治記」 が 「吾妻鑑」 だという確証はないのですが、その可能性は高いといわれている。

それと共に 「吾妻鑑」 が金沢北条氏の周辺で編纂されたと推測されている。(既記述)   金沢氏は北条一門きっての文人武士として知られています。 宗尊将軍と共に下向してきた儒者の清原教隆(noritaka)から学問を学んだ金沢実時(sanetoki)、その子顕時(akitoki)は清原俊隆(tositaka)に師事し、浄土・禅宗をおさめている。

*宗尊将軍・・・・鎌倉幕府六代将軍 ・ 御嵯峨天皇第二皇子
*清原教隆・・・・鎌倉時代の儒学者 ・ 金沢実時の師

「吾妻鑑」 の編纂を行う時、金沢氏に親しい長井泰秀(yasuhide)氏の手元にあった「関東治記」 ・「六代勝事記」・他の鎌倉初期以来の記録や文書の目録は大いに役立ったはずである。  また「吾妻鑑」 には「広元伝説」ともいうべきものがあったことは良く知られているが、或るいはそれらも長井氏を経て 「吾妻鑑」 の中に入ったかも知れない。

*長井泰秀・・・・大江広元・孫

幕府・初代政所別当  大江広元邸旧跡
大江広元邸跡
大江広元・墓所  (鎌倉市・雪ノ下)DSCN2691.jpg


かくして、「吾妻鑑」 の編纂関係の記事の多くは金沢氏の周辺へと結びついていくが、さらにこうした形式の奉行人の日記と同じような日記で、 「吾妻鑑」 が編纂されたのであろうと推測される 「建治三年記」 や 「永仁三年記」 も、金沢氏の文庫の所蔵になっている。
以上から 「吾妻鑑」 は、おそらく十三世紀末頃に金沢氏の手によって編纂された可能性は高いとみる。   次回に続く

丁酉・丁未・乙卯
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鎌倉の石塔・その周辺の風景(R)


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