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鎌倉幕府五代執権・北条時頼

2017.08.02(09:09) 78

**時頼政権の諸政策

**引付制の創設

御家人保護政策のもう一つの大きな柱と考えられるのが、建長元年(1249)の引付(hikituke)制度の設置である。  引付は、評定の下に置かれた新たな裁判機関である。  これは裁判の迅速化が目的で、人心を安定させ新執権時頼への心服を得る方策の一つとして訴訟制度の改革が行われた。  

引付設置の前年、宝治二年(1248)、幕府は評定衆北条資時(suketoki)の担当する訴訟の処理が遅れ気味であることについて、戒告を与えている。  裁判機関の問注所の奉行人のなかに、職務怠慢の輩が多く、評定の場で訴訟について質問があってもろくに答えられない者があって審議が停滞するような事もあり、その様な者は解雇の対象になった。   (吾妻鑑)
公正・迅速な裁判を目指す時頼政権の姿勢がすでに見られたのである。

評定衆のうち北条正村(masamura)を一番引付の頭人、北条朝直(tomonao)を二番頭人、北条資時(suketoki)を三番頭人に任命した。  これによって、引付が誕生したのである。    頭人の下で訴訟を担当する引付衆に、二階堂行方(yukikata)・二階堂行泰(yukiyasu)・二階堂行綱(yukituna)・大曾根長泰(nagayasu)・武藤景頼(kageyori)の五人が任命された。

引付衆の基本的な構成は番ごとに責任者である頭人、その下に数名の評定衆、引付衆、奉行人が配置されるという構成であった。 また、引付の職務内容は、幕府裁判の中でも御家人相互間の訴訟や、荘園領主と御家人間の訴訟を審理することにあった。  御家人が関わる裁判の迅速で正確な進行が図られたわけで、この措置によって御家人たちの信頼が時頼に集まったことは確かである。

北条氏一門と側近によって構成された引付を、評定と重層的に組織することによって、時頼は執権の権力基盤の外延を広げたという。 また、引付には設置直後から、御家人訴訟以外にも寺院や祈祷関係などの職務もあったという。 引付設置については、単純に御家人保護のみで解釈することは出来ない。

**裁判の迅速化と公正化

引付設置後も、様々な形で裁判の迅速化と公正の維持が図られた。  引付での文書審査において善悪が明確な場合は、被告・原告の対決という手続きを省略することが決定した。  同時に引付は午前10時には業務を開始する事、頭人以下の役人は遅刻をしないように命じ、審理報告書と共に担当役人の出欠表の提出を命じられた。  この時代としては随分と細かいところまで指示が出されているものだと感じられるが、役人たるものは誠心誠意、真面目に裁判に取り組むべきであるという、時頼の意思によるものであろう。
まんだら堂・やぐら群  古都鎌倉特有の法華堂・墓 (逗子市)
まんだら堂
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裁判にあたっては御成敗式目の規定に従って判決を下し、不公平が生じないようにせよと、引付・門柱所・政所に指令が出されている。  (吾妻鑑)  次回に続く

丁酉・己酉・辛酉
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