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鎌倉幕府五代執権・北条時頼

2017.08.23(12:47) 83

**蘭渓道隆と建長寺

**蘭渓道隆の来日

宗教が現代よりもはるかに大きな意味を持っていた中世の中においても、時頼の仏教に対する帰依の深さは桁外れであったと指摘されている。   時頼の信仰は、仏教・神道にわたって内容が極めて幅広かったと伝わる。

日本禅宗史上、さらには日本文化史上でも大きな画期になり、また時頼の生涯にも大きな影響を与えることになったのが中国の禅僧・蘭渓道隆(rankeidouriyuu)の来日である。

蘭渓道隆は、時頼が執権に就任した寛元四年(1246)に、中国(南宋)から渡ってきた。  南宋の嘉定二年(1213)の生まれであるから、来日当時は34歳であった。 十三歳で出家、臨済宗松源派の無明慧性(mumiyou・esiyou)から禅の奥義を授けられた。

宝治二年(1248)、蘭渓道隆の寿福寺滞在を聞いた時頼は、蘭渓を粟舩(awafune)・(大船)の常楽寺の住持に迎えた。
常楽寺は、もとは北条泰時(3代執権)が妻の母の菩提を弔うために退耕行勇(taikou・giyouyuu)を開山に招いて建てた寺で、密教と浄土を兼ねた寺院であったとみられる。

常楽寺の残る鐘銘によれば、泰時の墳墓のある寺でもあり、「座禅の空観を催すに足る」と記され、蘭渓が迎えられたときには既に禅院としての性格を備えていたことが解る。

*退耕行勇・・・・鎌倉時代前期の僧、栄西に師事し臨済宗を修める。後に東大寺大勧進職(3代)。

臨済宗・建長寺派 粟舩山常楽寺・参道・山門  (鎌倉市大船) .常楽禅寺
常楽寺・山門

時頼は、公務の合間を見ては常楽寺の蘭渓を訪ね、禅の教えを学んだようだ。  前年には道元(dougen)と面会して禅の教えを受けており、禅に興味を持った時頼が、禅の本場である宋から渡ってきた蘭渓に本格的な禅の教えを学ぼうとし、厚く保護したのである。

政務に精力を傾ける一方で、蘭渓からは全力で禅の教えを吸収しようとしたらしく、蘭渓も時頼の立場を理解し高く評価している。 「大檀那(時頼)は、自己のすべてを傾けて道徳を実行し、忠心から国政を行っている。本来菩薩の身でありながら人間界に現れ、身分の高いものとして大権を掌握している。 世を救おうとする思いは海のように深く、民を養おうとする心は山のように固い。仏教を厚く敬い、皇室を永く保とうとする」と述べ、ベタ褒めである。
次回に続く

*今回記事の更新が遅れました。

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