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鎌倉幕府五代執権・北条時頼

2017.09.04(06:58) 86

**浄土と鎌倉大仏

**浄光明寺・大仏の建立

時頼は、日蓮が強く批判した念仏の教え(浄土教)をも受け入れた。  鎌倉・扇ヶ谷(oogigayatu)の浄光明寺の創建に関わったとみられることは、その一例である。  浄光明寺は建長三年(1251)に北条長時(nagatoki)の発願により、浄土宗・真阿(sina)を開山に招いて創建されたと伝わる。  (鎌倉市史)

しかし、創建に関わる浄明寺文書に「本願主」として長時と時頼の名が記されており、建長三年当時には長時が京・六波羅探題在任中であった事などから、創建に関わる実務を行ったのは執権時頼であったことが考えられる。

時頼が浄土教を中心とする寺院を建立していることは、当時の多くの武士と同様に、念仏信仰(阿弥陀信仰)をも持ち合わせていた事を意味している。  現在は材木座にある浄土宗・光明寺についても、時頼の関与が伝わっている。 浄土宗鎮西派の関東における一大拠点であった。

鎌倉における浄土信仰という事になると、鎌倉大仏に触れなければ為らないでしょう。
「吾妻鑑」 によれば、建長四年(1251)八月に鎌倉深沢において金銅・八丈の釈迦如来像を鋳造し始めたという記述がある。  鎌倉大仏は、不明な点が多く非常に謎の多い大仏である。
この記事もその一つで、現存する露座の大仏は阿弥陀如来像であるが、記事では 「釈迦如来」 とされている。この不一致をどう解釈するかについてはいろいろな説がありますが、基本的には建長四年に鋳造され、この大仏が現存する「阿弥陀仏」であるという説が主流である。

実は、銅像の大仏が作られる前、木造の大仏が存在していた。 この木造は大仏嘉禎四年(1238)3月に工事が始められ、寛元元年(1243)6月に完成している。  (吾妻鑑)

木造大仏も銅像と同じ阿弥陀如来像であったとみられ、創建の発案は北条泰時(yasutoki)(三代執権)と考えられる。  同時に浄光(jiyoukou)という念仏僧の勧進活動を幕府が後押しをした記録が残る。 何れにせよ幕府が関与していた事は間違いない。

木造大仏を原型として、同じ場所に銅像大仏が建立されたと考えられるが、正確な完成時期は不明である。 文応元年(1261)から文永元年(1264)の間とみられている。 この大仏の建立を推進たのは北条時頼であろう。泰時の代の大仏を継承したという側面もあるが、時頼自身に阿弥陀信仰がなければ、大仏建立のような大事業を行う事は無かったであろう。  また、並行して進んでいた建長寺の造営も、幕府による国家支配を守護する仏教拠点という性格を持っていたのであろうと考える。
露座の鎌倉大仏 (阿弥陀如来像)  鎌倉市・長谷(深沢)
鎌倉大仏
大仏建屋・礎石  鎌倉大仏は露座ではなかった・・・・・
大仏建屋礎石
律僧・忍性経営(桑ヶ谷療養所・悲田院)跡 (鎌倉・長谷)   ・現長谷大仏付近・
桑原ヶ谷療養所

銅像大仏の完成を弘長二年(1262)と想定するとともに、前後して奈良・西大寺の律僧・叡尊(eisonn)が鎌倉に下向している事に注目する。   大仏は西大寺系律宗と時頼政権との一体化の象徴と見ている。 研究者の意見も大筋で同じようだ。
大仏と律宗が密接な関係にあったことは、建立に関して技術者の動員という面からも十分想定できる。

*律僧・忍性(ninsiyou)・・・・西大寺・叡尊の弟子、鎌倉に於ける社会救済活動(橋・道路・井戸)等の土木事業、貧民救済の為の施設の運営を行う。(極楽寺の住持)

次回に続く

丁酉・庚戊・甲午
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鎌倉の石塔・その周辺の風景(R)


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