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鎌倉幕府八代執権・北条時宗

2017.10.10(07:00) 95

**時頼から時宗へ

**時頼時代の終焉

弘長元年(1261)11月、極楽寺流・北条重時(sigetoki)が死んだ。 64歳

その直後から「吾妻鑑」は、欠落が多くなる。  時宗が従五位下の佐馬権頭(samanogonnokami)に叙爵した事すら、記述されていない。  そして弘長二年(1262)に至っては一年分がそっくり欠落しているのである。  この年、鎌倉で何事かが起こった事は間違いない。 暗に裏付けているのは、弘長二年に書かれた「国分忠俊所領譲状案」と言う一種の譲渡状が残されている。 この書状によれば、肥前国朽井村(佐賀県大和町)の領主国分忠俊は、「鎌倉にひそめく事あって召され候の間、生命、存命し難きによりて」 所領を嫡子に譲与して、鎌倉に旅立った。 死を覚悟して忠俊は、鎌倉に向かったのである。
鎌倉には「ひそめく事」 が、あったからである。 忠俊のその後については、一切わからない。

「吾妻鑑」 が書かなかった弘長二年に鎌倉で起きた主な事件は、他の資料などから引用した。
〇  三月二十七日、金沢実時(sanetoki)の招きで、奈良西大寺律宗の中心人物だった叡尊(eison)が鎌倉に来ている。 麾下の石工集団を伴ってきたらしく、前年に鎌倉に先着していた良観房忍性(ninsiyou)の指揮下、故重時の山荘が極楽寺に改造されていた。  極楽寺は、単なる寺ではなく、鎌倉の西南隅の出入り口で、軍事的に重要な防御機能を備えていた。
極楽寺坂切通し・石塔  (忍性によって開通)
極楽寺坂
長谷・桑ヶ谷療養所跡石塔 (忍性によるハンセン病療養所)   (鎌倉市・長谷)
桑原ヶ谷療養所

〇  四月七日、時宗の庶兄時輔(tokisuke)の烏帽子親だった足利利頼(tosiyori)・(もと利氏)が、23歳という若さで死んでいる。死亡の状況などは不明。 嫡男家時(ietoki)が家督を継いだが、歴代の足利氏の当主が、得宗家から偏諱(henki)を受けなかったのは、この家時ただ一人である。

*偏諱・・・・将軍などが、臣下や元服する親族に自分の名から一字を与える事

これ等の事件から、鎌倉の「ひそめく事」 と関係があったかは解らない。
弘長三年に入ると、「吾妻鑑」の記述は再開された。 しかし、再開後目立つ記事は幕閣の要人たちの相次ぐ死である。 幕閣の重臣たちの間で、世代の交代が進行しているかのようだった。
いままで時頼の政治を補佐していた人々が、次々に消えていったのである。  時頼から時宗へへの代替わりを、まさに暗示しているかのようだった。 そして、この時期時頼自身も病気であった。 加持祈祷が繰り返されたが、あまり効果は上がらなかった。

弘長三年(1263)11月23日、戌の刻(午後八時)、ついに時頼は死んだ。 この死については前述したが再度・・・・・。
袈裟衣を着て縄床に上がり、座禅して少しの動揺の気配なく、終焉の際には又手して印を結び、口に詩経を唱えて即身成仏の様相を呈していたという。

時頼の遺言は、中国南宋の禅僧・笑翁妙湛の詩経を、下敷きにしていたと言われる。 時頼が大陸の情報に通じていた事は良く知られており、おそらくは蒙古が南宋に迫っていた事も、当然、知っていたに違いない。

時頼が死んで、予定通りに時宗が家督を嗣立した。  北条家得宗家の代替わりである。 しかし、形式的には時頼が執権を辞して出家した時、すでに家督は時宗に譲られていたのである。  まだ時宗が若年で、時頼が死なずに済んだので、時頼は得宗時宗の権限を、代わりに行使してきただけだったのである。

つまり時宗は、時頼が出家した時から、既に得宗だった。 だから時頼の死後も、幕閣に問題は生じなかった。  また、その地位を狙う者が現れる余地が全くありませんでした。
このことは、見方によっては異常な事であった。  これまでの得宗の代替わりの際には、必ず事件があったからである。 今回は何も起こらなかった。  執権は北条長時(nagatoki)、連署は北条政村(masamura)、小侍所別当は北条実時(sanetoki)、そして当の時宗も、もと通りの小侍所所司だった。

鎌倉幕閣の体制は、時頼が生きていた時と完全に同じで、何の変化もなかった。 とにかく天下は太平であった。 事件らしい事件は、ついに起こらなかった。 まさに奇跡のようであった、或は何事かが起こっていたのかも知れない。 しかし未然のうちに抑えられたので、幕閣の重臣たちがひた隠しに隠したのかも知れない。    次回へ

丁酉・辛亥・庚午
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鎌倉の石塔・その周辺の風景(R)


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