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鎌倉幕府八代執権・北条時宗

2017.10.22(07:00) 98

**東アジア世界の動向

今回、都合により北条時宗(日本)の周辺、モンゴル・高麗の動向についてレポートします。(2回程度の予定)



**モンゴル帝国の成立

十三世紀は、大きな転換点となる世紀であった。 それは、ユーラシア大陸に忽然とモンゴル帝国が出現した事による。
そこで、モンゴル台頭の歴史を要約してみる。

*チンギス・カンの登場

13世紀初め、モンゴルという遊牧集団が、モンゴル高原の東北部に、急速に台頭してきた。  この集団の長が、テムジンである。
彼は、僅か三年の間に、ゴビの北に割拠するトルコ・モンゴル系の放牧集団を統合していった。 そして、部族長の集会であるクリルタイで推薦を受け、1206年、チンギス・カンと名乗った。      
(頼朝の鎌倉幕府成立とほぼ同時期)

こうして、「モンゴル・ウルス」 が成立した。 モンゴル語のウルスとは、血縁関係にって形成された部族集団と、その遊牧圏をさし、更には国そのものを指す。 ウルスは、集団にウエイトを置いた言葉で、領土が固定した国家ではなく、人間集団が動いてしまえば、ウルス(国)も動いてしまうという類の国家である。

チンギスは、千人隊を基本とし、機動力に富む強力な騎馬軍団を組織した。  彼は中国・金朝を征服したのを始めイラン全土を支配、更に南ロシア、インドまでの侵攻を計った。 この様に各地への遠征に明け暮れ、支配領域を拡大したチンギスは、1226年から第五次西夏遠征を決行の途中、六盤山南麓の清水河の野営地で、その生涯を閉じた。

**ウルスの拡大

チンギスの死後、その末子のトルイが国政を代行した。 1229年、チンギスの第三子のオゴデイが即位し、トルイの強力のもと金朝攻撃を再開した。  トルイ軍は西側から京兆〈現・西安)を陥落させ、1234年トルイ軍に協力した南宋軍の攻撃を受けて、ついに金朝は滅亡した。

オゴデイは、1234年、クリルタイを招集して、南宋遠征とキプチャク・ル―スィ遠征の東西二大遠征を発表する。  そしてオルコン河の上流平原に新都カラコルムが造られた。 そこを起点とする駅伝制も整備されると共に、モンゴル皇帝を示す「カアン」 という新称号を創始した。

1236年から西方遠征が開始され、チンギス・カンの孫であるバトゥが指揮した。 西に広がる草原の制圧が目標であった。  さらにロシア・ヨーロッパ方面まで侵攻し、ハンガリー草原を制圧した。

四代目のカーンとして、1251年モンケが正式に即位した。 トゥルイの子、チンギスカンの孫。モンケは、財政行政上、帝国を三大地域に区切り、総督府を設置した。  東方については、弟のフビライを総司令官とした。 一方、西方にはフレグを派遣。  こうしてモンゴル帝国は、ユーラシアの東西にまたがる文字通りの世界史上空前の大帝国となった。

**フビライのクーデター

1259年、四川州に遠征中のモンケが陣営で急逝した。 諸王・諸将の多くがモンケ本隊にいた事したため、モンゴル本土には、末弟のアリク・ブケだけが駐在していた。  そのアクリとの間で、五年にわたってフビライは帝位継承の戦いを続けたが、1260年諸郡に集結を呼びかけ、自派のクリルタイを開催し、フビライが即位した。 この時四十六歳であった

アリク・ブケも、モンケの葬儀とクリルタイの開催を呼びかけ、多数派工作を続けた。   名文上では、アリク・ブケが正統の大カーンであった。  以後、両軍のにらみ合いが続いたが、フビライの多数派工作がなり、フビライによって、新型の国家が建設された。

それは、中央ユーラシアの遊牧国家の伝統と中華世界の中華帝国の方式を合体させたうえ、さらに海域世界をも取り込んで、政治・経済の緩やかなシステムを出現させたと言える。  それは、後に見る南宋の吸収で、ほぼ完成された姿を見せるようになる。

フビライは、新たな首都として大都(現在の北京)を建設した。 それは、カラコルム(上都)とを結ぶ内陸の交通路だけでなく、海域との結びつきも考慮された。  大都には、積水潬という都市内港がつくられ、運河によって上海・泉州・広州などの港湾都市とも直接結びついた。

一方、内陸アジアの交通網と商業網はモンゴル政権のもとで一層組織化・体系化されていた。  こうして海陸双方を通じて人・ものがユーラシア大陸を循環していくネットワークが形成されたのである。 次回へ

丁酉・辛亥・壬午
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鎌倉の石塔・その周辺の風景(R)


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